2023.04.24
[Vol.4]遠野にみちびかれ
インタビューvol.4:株式会社パトラック/一級建築士 安宅研太郎さん
前回のBLOGでは、ほどよくつながりつつ個をもつ「居心地」という空間についてお話を伺いました。今回は、その土地の文化や歴史などの背景をもつ建築についてお話を伺いました。「トラスト運動」のような、「まちづくりと文化人類学」のような、深いお話です。
株式会社パトラックの安宅(以下、略 アタカ)さんに大きな影響を与えた岩手県遠野での活動。それはランドスケープデザイナー田瀬理夫さん(※1)との出会いからはじまりました。
※1 ランドスケープデザイナー 田瀬理夫(たせみちお)さん
造園家。株式会社プランタゴ代表。1949年東京都生まれ。大規模施設のランドスケープから個人宅の作庭まで数多くのデザインを手がけ、景観と生活環境の再生に尽くす。おもな作品にゆりが丘ヴィレッジ、アクロス福岡、アクアマリンふくしま、地球のたまご、5×緑。岩手県遠野の山里に仲間たちと「クイーンズメドウ・カントリーハウス」という滞在拠点をつくり、馬を軸にした営みの実践的な実験を重ねている
その土地に合う建築を
どうつくっていけば良いのか
アタカさん)
シャノアール研修センターを建てた時に外構設計をプランタゴの田瀬さんがされていて、現場が終わった頃に誘われて初めて岩手の遠野に行ったんです。2008年頃ですかね。
クイーンズメドウ(※2)の敷地に小さな建物をつくろうと言って行ったんですけど、打ち合わせはそこそこに、馬の世話をしたり田んぼの草を抜いたり(笑)。という感じでそれからずっと通ってます。
アタカさん)
遠野でなにかをつくろうとした時に、それまでつくってきた設計の方法では太刀打ちできなかったんですよね。今までのデザインを遠野に持ち込んでも何もならないというか。
その土地に合うものをどうつくっていけば良いか。東京での自分のデザインとどう位置付けたらよいのか。そういうことが全然消化できずにずっと過ごしていましたね。
アタカさん)
それから東北の震災があって、その辺りで自分の事務所を縮小したんです。もうちょっと自分で事業計画をしたり、企画から関わる仕事がやりたいなと思って、当時クイーンズメドウの運営をしていた会社の一角に机をもらって、遠野で何かプロジェクトを立ち上げたいと。
※2 Queen’s Meadow Country House(クイーンズメドウ・カントリーハウス)
岩手県遠野において田瀬理夫さんを中心に「馬と人とが共にある暮らしを営んで行くことで遠野らしい美しい景観が続いてゆくこと」を願い、1999年に開拓を始める。早池峰山の南側、遠野盆地の北側に位置する豊かな森と牧草地で、馬たち(ハフリンガー種)を放牧し、そこにつらなる田畑で有機農業を営む。遠野の景観や暮らしの実践についての各種ワークショップも行っている。
それで始めたのが『遠野オフキャンパス』という活動です。
遠野オフキャンパス
アタカさん)
遠野市からの委託で、町家の活用の仕方を調査するという活動から遠野オフキャンパスは始まりました。一軒一軒町家の実測調査をして図面を起こすのですが、それを業者さんに頼むと、ただ図面ができるだけになっちゃう。
でも、地元の高校生や都会から来た大学生たちと一緒に実測して図面を描いたり、また建物の修復も大工さんと一緒に学生が参加したりすると地域の人も手伝いに来て、徐々に町の人たちも建物のことを知るようになるし、地域をどうしていこうか?という話もできる。
アタカさん)
すると建物が昔どのように使われていたか、当時の町の様子はどんなだったかをよく知るお年寄りに高校生がインタビューしたりして。
どんどんいろんなことが起こっていくので、活動のゴールを決めずに、やることをちょっとずつ決めて、いろんな人に参加してもらってやりませんか、と当時の市長に提案しながら始めました。
アタカさん)
毎年活動していく中で、建築だけじゃなく、いろんなジャンルの活動を始めていきました。例えば遠野市は昔から馬産が盛んで、夏のあいだ放牧する荒川高原牧場(国の重要文化的景観)があるんですけど、高校生たちはそこに行ったことがないというので、みんなで行って実際に馬が放牧されている中に入ってみたり。
クイーンズメドウがどういう考えで運営しているのかということを話したり。そういうことを通じて地域を今後どうしていくのがいいかな、みたいな話をする会を続けています。もう10年くらいですかね。
速水)
高校生たちにとっては、地域のルーツや魅力を再発見し未来を考えていく、宝物のような時間ですね。
アタカさん)
全員にいい影響があったかどうかはわからないですが(笑)、会に参加したのをきっかけに建築や環境系の道に進んだりした学生がいますね。数人だとは思いますが、ちょっとずつ影響を与えられたみたいでうれしいですね。
遠野駅舎の保存
アタカさん)
遠野駅は1950年にできたので、築70年くらいですね。遠野の建物の中では比較的新しいんですけど(笑)。
僕が駅舎を残した方がいいと思ったのは、初めて遠野を訪れて駅舎に降り立った時に、遠野物語などでイメージしていた通りの雰囲気の場所だなと思ったんですね。
どんなだったら遠野らしいのかとか考えてはなかったんですけど、降りたら期待通りの場所が待ってた。古い跨線橋を回って有人の改札を通って、おばあちゃんが古い木製のベンチに座ってるのを見ながら古いブロック造の駅舎を通り抜けていったんですけど、その雰囲気にとっても感動したんですね。
遠野の玄関口として歴史を伝えてる感じもしたし、遠野に来たっていう感じをつくりだしていて、僕はその時の記憶をずっと大事にしていたので、それを壊そうという動き自体が信じられなかったんです。
その土地らしさとは
アタカさん)
いろいろ調べていくなかで、ブロック自体がすごく価値のあるものなのではということがわかってきて。当時だとまだ大量生産が始まる前の段階なので、ブロックも地域でつくっていたはずで、実際に遠野市内にも何軒かブロック工場があったらしいんです。
見てみるとブロックの表面がちょっとベージュかかっていて、遠野の川砂、花崗岩が風化して真砂土なるちょっと前くらいの感じにすごく似ているんです。もし本当にそうだったとしたら、このブロックも地域材(木材)と同じく地域の材料ですよね。
当時戦後で、コンクリートをはじめ資材が少なかった中で経済的に、それでも堅牢なものをつくろうってなったのでしょう。ブロックはL型をしていて、中村鎮さんという方が開発した日本独自の構法ですよ。
設計者は国鉄の営繕部の方なんですけど、その時の記録が残ってて、『ブロック造で洋館の洋式に見えるような形でそこに屋根瓦を乗せて、城下町にふさしい外観になるように考えてつくった』ということが記載されてるんです。
駅舎が70年残っている中で、周りの建物もそれを元に古い建物らしい形に整備され、遠野のひとつの象徴のようになってるんですね。
いわゆる遠野物語的な世界観ではないのですけど、東北の、なんていうか銀河鉄道の夜のような感じですね。哀愁があってすごくいいんです。
遠野駅100年プロジェクト 始動
アタカさん)
まちの人や専門家が集まり、2019年に遠野の伝統文化や景観を保護活用したまちづくりを考える団体「遠野ふうけい会議」を設立しました。第一弾として「遠野駅100年プロジェクト」と題し、遠野駅舎の保存活用を目指す活動を行なっています。
僕も共同代表を務めています。
その土地らしさの集積が、まちに対する誇りや愛着につながるし、訪れる人にも訪れる価値になると思うんですね。古い建物や文化がどんどん失われていく中、今ある財産を活かして「遠野らしさ」を継承していく。その新しい道をみんなで一緒に考え、さらに次の世代に「遠野らしい風景」をつないでいきたいと考えています。
4回に渡りアタカさんのインタビューお届けしました。
医療福祉建築から、遠野のまちづくりまでさまざまな活動を行っているアタカさん。人もまちも風景も、それぞれがそれぞれらしく、この社会に居られるための仕組みや、器としての建築をつくられているのだなと感じます。
また、まちと建築が溶け合う景観や、建築のマテリアルから解き明かすその土地の文化や歴史などのフィールドワークからの見解など、アタカさんは「言葉であらわせない感覚」をどのように掘り下げていくのかなどのお話には、沢山の気づきをいただきました。
インタビュアー
桜茶屋デザイン 速水貴子
文
桜茶屋デザイン 速水貴子
小川百合子(小川耕太郎∞百合子社)
【ウッドロングエコ×地域材】をコンセプトとした、インタビューBLOG「ウッドロングエコと人」はこちらからご覧ください。
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VOL.3 パトラックの空間づくりhttps://mitsurouwax.com/archives/10032