2023.12.30

第三話 人文地理学を学び田舎暮らしへ

分岐点はTVドラマ『北の国から』

画像元:photoAC 伊勢神宮外宮

子ども時代の野田さんは、自然の中で遊ぶのが大好きで、近所の伊勢神宮外宮の森が遊び場だった。高校卒業後、東京へ上京し、一年ほど浪人生活を送った。その頃、TVドラマ『北の国から』が再放映され、大自然の中で生きる暮らしに魅了された。当時はビデオを買うお金もなく、TVドラマをカセットテープに録音し、繰り返し聞いたそうだ。

ストーリー | 北の国から | BSフジ (bsfuji.tv)

野田さんと私は年が近いことから、影響されているものが共通している。バブル経済がはじまる5年前の 1981年に放映されたドラマ『北の国から』は、主役の五郎さんは、私の親の年代と近い設定だ。

戦後の日本は工業大国として発展し、田舎の若者は集団就職という形で都会へ移り住んだ。私の親も田舎の高校を卒業後、集団就職で都会にでた世代だ。五郎さんは東京での生活に疑問を抱き、故郷の北海道に戻り、電気も水道もない大自然の中で一家で自給自足的な暮らしをする。

五郎さんは、なんでも自分でつくれる知恵を持つ田舎の人で、ドラマの中では、手づくり 風呂や風力発電、廃材で家を建てるなどの手作り暮らしのシーンが描かれている。北海道は地域的に風が強く、その風を活かして風力発電をつくった五郎さんは何度も失敗したが、息子の純は試行錯誤する親の姿をみて独学で風力発電をつくった。

野田さんは、その土地の自然や地形を活かして暮らすドラマをみて感化されたのだろうか?「将来は田舎暮らしをしたい」と決めていたようだ。一年後、法政大学文学部地理学科 に入学をした。

大学では「人文地理学」を学ぶ

—大学では、どんなことに興味がありましたか

野田 地理学を大きくわけると「自然地理学」「人文地理学」にわかれます。ざっくりいうと、前者は地形や気候等を学ぶ学問、後者は多様な地形や環境を理解した上で自然と人との結びつきを学ぶ学問です。「人文地理学」がとにかく面白くて。『わら一本の革命』 (著:福岡正信 春秋社)を題材に、みんなで議論を交わす授業もありました。

画像:『わら一本の革命』 著:福岡正信 春秋社

『わら一本の革命』の著者 福岡正信さんは、税関の植物検査課に所属したのち、病気をきかっけに「不耕起 無肥料 無除草」という自然農法をはじめた方だ。大自然の循環サイクルの中で「自然との対話」を通した農法を実践したことから、農哲学者と呼ぶ人もいる。自身の自然農法の考え方を基に、アフリカで砂漠化や荒廃した台地の改良などにも関わり、世界的に評価もされている。

野田 人文地理学の影響もあったのかな、野田知佑さんや椎名誠さんのように、日本各地、世界各地の、特に辺境を旅する生き方に憧れていました。

画像上:作家 椎名誠の書いた書籍/ 画像下:作家 野田知佑の書いた書籍 


当時は、「アウトドアライフ」といった言葉は無かったが「アウトサイダー」という言葉はあった。アウトサイダーとは、一般社会常識の枠にはまらず、独自の思想や生き方をする人のことをさした。1980年代というのは、日本社会の常識に違和感をもち、五感をフルに使い創意工夫溢れた自然な暮らしや生き方を求めるアウトサイダー的文化人を多く輩出した時代でもあった。農哲学者の福岡さん、作家の野田知佑さんや椎名誠さん、ドラマ『北の国から』の原作・脚本家の倉本聰さんもそのような生き方を選んだ人だと思う。

例えば、作家の野田知佑さんは、リバーカヤックツーリングの先駆者で、日本を始め、世界各地の川をカヌーで旅した旅人であり、作家であり、環境活動家でもあった。椎名誠さんも、旅人や冒険家であり、作家や写真家でもあり、雑誌編集長でもあった。両者共、日本や世界各地の、特に辺境を旅した紀行文や写真などの書籍を発表している。

自ら辺境や先住民の住む地域にいき、自然と人と地形の結びつき、生活文化や風習、環境問題などについて書きつづった作家が沢山いた。ざっとあげても、椎名誠や野田知佑、沢野耕太郎、C.W.ニコル 、植村直己、星野道夫などなど。作家の書いた本を読み、世界各国の辺境へ旅にでるバックパッカーが増えた時代でもあった。

木工技術が学べる訓練校をへて長野へ移住

――大学卒業後、すぐに田舎暮らしをはじめたのでしょうか

野田 「自給自足に近い田舎暮らし」をしたいという思いが強かったので、卒業後は長野で暮らしたいと思っていました。当時は、そういう生き方をしていた人が長野に集まっていましたから。

卒業後、岐阜県立高山高等技能専門校 (現・岐阜県立木工芸術スクール)で家具製作を学び、その後、長野県上伊那郡辰野町に移住しました。古民家に住みながら、長野県伊那技術専門校建築科 にて建築を学び、念願の田舎暮らしをはじめました。

まずは、仕事として対価をいただける技を身に着けることで、「自給自足に近い田舎暮らし」を叶えようと考えていました。

画像元:絵本とこども道具kiwi facebook より

小屋から調味料まで自給自足

インタビューの中で、野田さんから「カナディアンファーム」の主「廃材王国ハセヤン」こと長谷川豊さんと、「おひさま醤油」の故・萩原忠重さんのお話しを伺った。

ハセヤンが建てる建物は、主に自然素材(近くにある木)や、リサイクルされたもの、廃材を利用している。カナディアンファームには、設計図など作らずに、独特の思い付きや直感により、材料の面白さを見極めて建てた家や小屋が沢山ある。

画像:『廃材王国』著者:長谷川 豊 淡交社1996年

写真:photoACより テレビドラマ『北の国から』 主人公の五郎さん一家が住む4回目の家(石の家) 。ドラマの中で。一文無しになった五郎さんが「そこらじゅうに捨ててある石で家を作ればいいじゃないか!」と思い付き、周囲に反対されながらもコツコツと自分の家を建てた。

あのTVドラマ『北の国から』の主人公五郎さんが建てた家を、もっとダイナミックにした、秘密基地のような家といえば伝わるだろうか?カナディアンファームには、自然と共存を求める人が世界中からあつまり、独自の価値観をもつコミュニティーを形成している。


長野からUターンで三重に戻った野田さんの工房「げんげのはらっぱ」にも沢山の廃材がある。野田さんにとっては宝の山なのだろう 。

画像:げんげのはらっぱに保管されている木材や破材や端材、廃建具

げんげのはらっぱにある何棟かの小屋の中で、野田さんが主屋としてつかっている小屋に、なぜかログハウスが連結されている。不思議に思った。

—-なんで、この小屋だけ一部がログハウスなんですか?

野田 それね~、近所の八風キャンプ場を閉める時にバンガローを解体してたので、クレーンで吊ってここに持ってきて、主屋に連結したんだよ

—もしかして、あのキッチンもそうですか?

野田 あれもよくキャンプ場にある屋外用流し台をもらったんだけど・・・。寒いから壁をつけて小屋にしたんだ。

重機も使える職人さんだということを知り、改めて逞しさを感じた。野田さんの工房を散策すると、ゴミというものがない。再利用をまっているガラクタ達(建具やトタン、破材や端材、古タンスなど)は、この工房の住人のようにみえた。

キャンプ場を解体する時にでた調理台を譲り受け小屋の中に収めて再利用する

2人目は、「おひさま醤油づくり」の故・萩原忠重さんだ。明治40年代に生まれ、戦後、長野にて従来の蔵で仕込む醤油とは違う作り方を研究した方だ。野田さんは長野で暮らしていた頃に、荻原さんのおひさま醤油づくりを教えている方から、おひさま醤油づくりの習ったそうだ。

一般の醤油づくりは、温度が安定した蔵で仕込むことで品質が安定するが、おひさま醤油は、お日様の力により微生物の活動を促し、醤油の原料であるもろみを切り返しながら醸造するというものでその年によって味や色味が異なる。どこか堆肥づくりと似ているような印象がある。味噌づくりと違うのは、醤油の仕上げの段階では、搾り、火入れをするなどの工程が必要で、仕上げの際には、専門の搾り師と一緒にグループ一同または家族みんなで仕上げをすることだという。

野田さんは長野から三重へUターンしてからは、長野から搾り師の方に来ていただいていたが、遠方であることと、自分でできる事は自分でと思い、搾り師の技術を学び、東海・近畿地域を中心に指導をしている。最初の頃は、シュタイナー教育の幼稚園に通っている保護者のグループから依頼されたおひさま醤油2樽の仕込みからスタートした。じわじわとクチコミで拡がり、醤油づくりに関わるコミュニティーは200世帯を超えるそうだ。

ハセヤンも故・萩原さんも、その土地にある材料を用いて、自身の手と自然を活かした技をつかい、手作り生活を極め、広めていった人だと思う。(つづく 4話へ

インタビュー 野田哲生(のだ・てつお)

1968年、三重県伊勢市生まれ。法政大学文学部地理学科卒業後、岐阜県立高山高等技能専門校木工工芸科にて家具製作を学ぶ。後に長野で田舎暮らしをはじめながら、長野県伊那技術専門校建築科にて家の建築を学ぶ、2008年より菰野町にて「手作り生活 おすそわけ工房 げんげのはらっぱ」を構える。

文・取材・一部写真 小川百合子
小川耕太郎∞百合子社 代表取締役。 主な仕事は持続可能な商品の一般化のためのPR。 地域の生物資源と産業と自然が循環できることをコンセプトとした持続可能な商品づくりを目指す。

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