2014.05.30

海のモノ山のモノから梱包資材(段ボールまで)何でも見て学びました。

ogawa_rire_daizo.jpgお蔭様で小川耕太郎百合子社は今年5月で14年目を迎えました。個人事業から数えると16年目になります。私、藤井大造が参加したのは有限会社発足から3月経過した7月からですのでもう13年にもなるのですね。今日は私が入社した当初のお話をさせていただきます。
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最初のころは当然全て手作業、サンプルから充填、ラベル貼(私が入社した時は蜜ロウワックスのラベルシールはありましたが、それまではコピーして糊で貼っていたそうです)など製造から事務、発送まで少人数で行い、如何にお金をかけず出張費や展示会出展費をひねり出すか、何でも試しました。
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▲売れる魚屋さんのディスプレーを観察したり・・・
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▲お客様のくる時間によってディスプレーを変える ナチュラルショップ
地元物産市には必ず出店して、時間ごとに展示を変えたり、展示アイテムも自分たちで作り
工夫してどのようにすればお客さんに伝えることができるかいつも考えていたので、どこに行っても展示レイアウトをみて次の展示会に試していました。
発送のダンボールも節約するためどこでも貰いに行っていたため、店の人から「もう来ないでくれ」と言われたことも。お店の人には悪かったですが、この経験により色々な段ボールを箱をみさせていただきましたので、いつの間にか段ボールの規格やサイズ、強度など覚えていき、いかような形の荷物も梱包できるようになりました。数年は発送から遠ざかっていますが、今でもどのように組み合わせればこの箱に収まるか、得意です。
当時は使い古しの段ボール(ほかの会社の箱)なのでお客様をがっかりさせないよう
中を開けた時の驚きや感動を少しでも工夫できないか考え、季節をテーマに落ち葉やいろいろな若葉(桧や松、椿、柿、黒文字も)実のついた枝や松ぼっくり、珍しいところでは椿の実をとってきて、葉は電話帳に押して(重しはなんと石臼)メッセージと一緒に商品に添えたりしていました。そうそう、サンプルを送る封筒も無地のものでは読んでもらえないからと思い、押した葉っぱを封筒に張りメッセージをはんこで押しました。
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荷物や季節の変わり目に入れる手紙は耕太郎さんのお母さんに書いてもらい大変好評だったですね。田舎に住んでいる母の手紙のようだとわざわざ便りをくださった方もおりうれしい限りでした。
尾鷲は魚が有名なので尾鷲魚新聞の作成、昔の林業(トラックやフォークリフトの無い時代の山仕事、製材仕事)https://mitsurouwax.com/img/mailnews/1.pdfのやり方をイラスト付きで作り連載したところ、うちの地方はこうだったとか昔はこうだった、懐かしいと次々と感想をいただきました。
当時は食事もスタッフが一緒にとり、賄い当番を順番にして各々お昼は1週間献立を考えるのが楽しみでありました。如何に安く、早く上げるか、料理人時代を思い出しながら捨てるようなところでもいろいろ献立を考え作っていました。
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▲長年営んでいる店をじーっと観察
私用で出かける時も仕入れといっしょに行けないか、展示会や市と一緒に回ろうか。仕事と私生活の区別はなく日曜日もあまり関係なかったですね。お金をかけないことは工夫を凝らし、とりあえず何でも作ってしまえ精神で仕入れ先にも無理行ってお願いしたこともありました。
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蜜ロウワックスを製造してもらっている中村さんにもワックスだけでなくはちみつの加工品試作をお願いしましたが、せっせと週末通いミツバチや養蜂のことを教えてもらい、自分は養蜂などしたこともないのにお客様に説明できるようにまでなったのはこの時の経験が生きています。塗料の世界で原料の生産者のことを語ることなどありませんでしたが、私は食の世界にいたので生産者を知ることで安心して使ってもらえると考え、せっせとミツバチや養蜂のこと、生産者の中村さんのことを記事にしました。
今では、ほとんど食品のお取り扱いありませんが、発足当時は木材を購入するお金などなく少しずつ仕入れては地元産品をよく販売していました。
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▲TV番組「遠くへ行きたい」の取材要請があり、海から山までこの地域の自然を生かした産業さんのご案内させていただきました。当時はよくこのような依頼を受けました。当時放映されていたNHK連ドラ「ほんまもん」では、この熊野の食をテーマにしていたため、この地域の食材をお送りしたり、尾鷲わっぱなど食に関わる生活道具などもお送りしていました。
当時は小川耕太郎、百合子、私の
3人でしたので、なんでもやっていました。海のモノ、山のモノから梱包資材(段ボール)まで、何に対しても興味をもち、「仕事は見て学んで、つくるモノ」という感じでした。(文:有限会社小川耕太郎∞百合子社 藤井大造)

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