猪垣(シシガキ)

inosisigaki.jpg▲猪垣(シシガキ)
江戸時代、猪(イノシシ)や鹿の侵入を防ぐため、地元集落にも猪垣(シシガキ)が築かれた。全長5?余り、湾内から隣村との境界の川までぐるりと取り囲んでいる。
1740年頃、八代将軍徳川吉宗公の時代に築かれたという。新田(畑)開発によって耕作地が里山深くなっていったことや、五代綱吉公の「生類憐みの令(1687)」で弓矢や鉄砲が禁止され、山の獣が爆発的に増えたことなども遠因にあるらしい。
村人総出で、周辺の岩石を掘出し割って削って、回してひっくり返して据え置き、積み上げ、山と集落を結ぶ道には木戸が取付けられた。時折の見回りや補修も怠れない。膨大な労力と費用だが、九州の対馬藩では「猪を根絶やしにするか、領民が飢え死にするかの戦い」と、延べ人夫21万3千人、猟犬9600頭で9年間の年月の末、約8万頭の猪を絶滅させて決着したと記録にある。猪垣で専守防衛に徹した方が、平和的だしコスト的にもずっとマシだったのだろう。
後々の人々の都合であちこち寸断されてしまったが、いまも猪垣の背は人や獣の乗り越えを阻んでいる。無人の集落にも猪垣は変わらずたたずみ、石垣の破れた箇所を猪や鹿が行き来している。
(竹村)