2014.10.21

10/26 天女座でストローベイル工法土壁ワークショップ

松井真俊さんのスロベイル工法のワークショップ


2016年10月26日 天女座 三重県熊野市波田須640-15にて、ストローベイル工法の土壁を 作るワークショップをします。泥団子や、泥遊びのような感覚で土壁を作るので是非ご参加ください。

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ストロー・ベイル・ハウスとは藁のブロックを積み重ねて断熱としてとても優秀な役割をしております。藁は建築素材としても優秀です。防音、断熱の役割としても最良です。麦のベイルを集めて作ることで、麦のいらなくなった部分を扱うことで環境問題にもつながっていきます。

また、最近では使われなくなった畳などを再利用するなど試行錯誤されているようです。その麦の上に土を塗り壁を作るワークショップが行われます。


→→→興味のある方は、10月25日にぜひご参加ください。

土塗りワークショップ

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そんなワークショップが行われる天女座はどのような空間になるのか?ということを松木さんにお話を伺いました。作られている空間は、外が洋風になり中が和風になる設計をかんがえているようです。詳しく、松木さんの中での構想はお聞きしましたが、それをここで記すよりも実際にワークショップに出向いてどのようにされるのか、松木さんから直接お話を伺って想像するのも楽しみの一つであると思います。

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松木さんの家の中に家をたてているという不思議な状況が天女座の中に入ると感じることができます。天女座の骨組みは鉄筋でできておりその中に木材が骨組みになっている家が入っている。この状況は、松木さんからのメッセージ性を強く僕は感じました。



松木さんは、「大工としての心が騒ぐ、昔の日本の設計は優れておりそれを活かさないのはお疑問に感じる・・・」という。



まず松木さんを大工と呼ぶのが正しいかどうか、ということが自分の中で疑問に感じた。

松木さんは、彫刻家でもあり建築家でもありそれでいて何よりも「生きる」ということをしているような人だなと僕は感じた。その中で気づいたこと、やって行きたいことを取捨選択して物事の本質にたどり着くことを目指しているのではないのかと思った。

それには、松木さんのこんな台詞があった。

松木:「僕はね、幼い頃いろいろなことをしてきたんだけれど見せかけのことじゃ誰も僕になんかついてきてくれることはなかった。だったら何か認められてついてこられるようなことをしてやろうじゃないか!」ということが始まりだったそうだ。何かをしてやろう!というのは何かの原動力になり続けていくことになる。

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松木:「何かのきっかけになったのが、夢の丸太小屋に暮らそうという雑誌があった。それを見て丸太小屋を作ってみたいと感じた。そこで、丸太小屋の作っているところにいき、ただただ、ジーっと観察して技を盗んでいた。」 

何かを観察することで、人の技を盗んでいく。けれども、盗んだだけでは実行に移すということは比例するとは思えない。とうよりも、誰もが知っているように言われただけや見ただけでは行動することができない。けれども、松木さんは何かをすることができた。


松木さんは、おそらく想像だが陰でよっぽどいろいろな作業の技術を練習してきたのであると思う。才能などそういう言葉でははなせることではないと思う。


松木:「そして僕は、丸太小屋よりも前にしたいことがあった、それが今回にも使われていた昔       

    の日本建築の建て方ということを学びたかった。」

   「そのためにはまず、日本の木造の家の建て方よりもその材料がどこからきているのか?

    どのようにして切り出されているのか自分でその本質という物を見に行かなくては!

    と思い、ぼくは森林組合に掛け合って木材を切る行為をさせてもらい木材というありが

    たみを自然に、みんなに教えていただいた。」


ぼくはこの話を聞いたときに根底的にすることの意味、本質的にはどのような物なのか?という解釈。それは木材のような物だけではなく仕事であり、生きていることであり物事を感じることであると思った。

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それは、誰かが決めたのではなく、自分で感じるべきことであり自分で決める価値観がそこにあると思う。このような価値観は、気づいても気づかなくてもよい物かもしれない。けれども、松木さんの周りにはきっと同じような価値観を持ったような人たちが周りに集まり一緒になってワークショップをしたり作業をしたり仕事などを頼んでいるのだろうと感じた。




天女座には、松木さんが作られた流木の椅子がある。それにもきっと松木さんの本質的なことは、どこにあるのだろうか?ということを考えられた視点が詰まっているように感じた。

さらにそこを掘り下げていくとこれは筆者の勝手な解釈なのであるあ「松木さんが生きる!」

ということを考えておりそれそのものが凝縮されているように感じた。

 



この椅子の話は、また次回に記事としてしっかり書かせていただきたいと思います。

(文:原 吉輝)



松木

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