小川耕太郎が考える、伝統技術の継承。

小川耕太郎∞百合子社では、21世紀型山林循環経済活動の構想と実践を目指し、その考えに基づいた商品を開発、販売しております。2009年より、越前生漉奉書長勝鋸木製ブラインド、自然乾燥の梁桁材などの商品を新たご紹介することになりました。 なぜ、弊社がそのような品を取り扱おうとしているのかについてふれたいと思います。

動機 実験台の家

2009年の春、親戚から
「ある家主が家をもらってくれる人を探しとるんやけど、どぉ?なんせ解体すると、かなりのお金がかかるそうやぁ。」
会社をはじめ11年目にとてもありがたいお話を頂きました。しかし、物資が乏しい時代に建てられ、その上長い間空家で放置されており、傷みが激しい民家でした。 小川社は10年目に[木もちeー外壁]という新商品をはじめて、この商品が今後の小川社の決め手になるのでは!と感じていました。 ・・・・・・「よし!この家を小川社の実験台の家にしよう」と決意。改修工事にむけて留意した。

紙祖の神:大瀧神社、岡太神社内
岩野市兵衛氏と小川耕太郎

1.小川社の商品を使う。また出来るだけ自然素材の建材を使う。2.地域の職人さんが手をかけ、つくる家。

紙祖の神:大瀧神社、岡太神社「紙と神の祭り」
継体天皇が皇子として当地に潜んでいた頃、岡太川の上流、水清き宮ケ谷に女神が出現「この村里は谷間故田畠少なく生計を立てることは難しい。 幸い清らかな谷水に恵まれているから紙を漉けばよかろう」といい、自ら紙の漉き方を教えられたという言い伝えがあります。毎年5月3日~5日の期間、 「紙と神の祭り」が行われます。

9代目岩野市兵衛氏と跡継ぎの岩野順市氏

鋸の革命児長勝さん。ヨーロッパの職人達へ技術指導。

長勝さんとお弟子さん

樹齢115年生の杉の梁桁を製材

柾目でつくった蜜ロウワックス仕上げの木製ブラインド。

この2点でした。改修工事は、地域の大工、左官屋、建具屋、畳屋、経師屋、電気屋など様々な技術屋さんが集まりました。 そのとき襖紙をどうしようか?と考え、知人のインテリアコーディネーターに相談したところ、手元に見本の和紙があるから使いなさいよとプレゼントして頂ました。 その方は、現代空間に和紙を使う試みをしていたものの、活動を一次休止してしまったと話されていました。私は、数年前からずっと気になっていた。
「藍染の奉書はどうなった?」
と尋ねたところ、
「岩野さんの奉書は素晴らしいけど、かなりの手間がかかる紙なので、どうしても高くなってしまうでしょ・・・・・そこまでの和紙は使えないという方が多くて・・・・」
との返答でした。
「えー桂離宮の襖紙までつくられた方が・・・・・。ならば私が売る!!」
と決意したのです。不思議なことに、この後に岩野さんの奉書が鋸業界の革命児 鋸研ぎ(目立て)職人の長勝(長津勝一)さんとの出会いにも繋がっていったのでした。

伝統技術を用いてつくられた品は、長い年月をかけて無数の職人さんの手によって取捨選択され、改良されたものです。 一つ一つ丁寧に作られた上質な品に、手を入れながら、大切に使い続けることに喜びを見出すことはできないでしょうか?


長年培ってきた技術は、一度無くなってしまったらもう取り返しが付きません。私は「技術」は自然や命、人間の誇りと同じだと考えています。 私は出来るだけ職人さんの手仕事を残したいと思い、チャレンジすることにしました。職人さんの精神がすみずみまでいきわたった仕事。 表には見えない細部まで手の入った仕事は、「こんなもんで」といった力の出し惜しみがありません。 私はこのような仕事に触れたとき、何故か気持ちが高揚します。何故だろうか?いい物をつくっている人は、働き方からして違います。 生き様や仕事を通して培った哲学は、私達に何か大切なものを教えてくれます。

もちろん、全てをそのようなモノで囲むことは不可能だと思います。
「今の時代はね・・・」ではなく、良いものを売るためにはどのように伝え、どのように販売していくか常に考え、行動に起こさないと、 凄い技をもった技術まで廃れていってしまいます。そして、そのような技術を後世へと繋げていくためには、時代時代に応じた改良を重ねていくことも必要なのかもしれません。 小川耕太郎∞百合子社では、長年培われた技術を後世にお伝えしていくために、さまざまな切り口で表現していきます。 新たな売り方とマーケットをつくる勢いで取り組んでおります。どうぞ、宜しくお願いします。

小川耕太郎

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